ハマの神の子よ、レジェンドを越えてゆけ!
2018/06/26(火) 横浜スタジアム
B0-4T
勝 メッセンジャー
負 バリオス
1998年10月8日。
阪神甲子園球場。
横浜ベイスターズは、38年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた。
2018年6月26日。
横浜スタジアム。
2年後の東京オリンピックに向けて改修が進む中、いよいよライト側の増席部分が姿を現してきた。
ベイスターズナインは、あの日優勝を決めたビジターユニフォームに身を包んで、試合に臨んだ。
1回裏。
あのテーマがスタジアムに響き渡る。
駆け抜ける スタジアム
君の勇姿
明日の星を掴めよ
石井 その手で
横浜ベイスターズ。
背番号5。
石井琢朗。
言わずと知れたハマのリードオフマン。
1998年の栄冠以降、チームは崖から転げ落ちるような低迷を続ける。
どん底のチーム状況。
衰える自身の気力体力との勝負。
奮闘努力を続けてきたチームリーダー。
2008年シーズン終盤、無情にもコーチ就任要請という名の戦力外通告を受ける。
その情報が、スポーツ紙に報道される。
憤ったファンは、出場機会のなくなった彼の応援歌を、他の主力選手の打席で歌う事で、球団に抗議の意を表明する。
その打席に立っていたのが、あの男だった。
ハマの龍神。
2000年代のミスター・ベイスターズ。
横浜ベイスターズ。
背番号1。
金城龍彦。
弛まぬ努力。
野性的な勝負感。
類まれなる野球センス。
チームを鼓舞し続けた彼が、打席であんなに悲しい、切ない、やるせない表情を見せたことはなかった。
彼もまた、2014年オフにコーチ就任要請という名の戦力外通告を受ける。
現役続行を希望し、ジャイアンツに移籍。
現在は、ジャイアンツの二軍打撃コーチとして後進の指導に当たっている。
石井琢朗もまた、カープで現役引退後、コーチを務め、今はスワローズのコーチとして、交流戦優勝の縁下の力となった。
その2人が、ハマスタに帰ってきた。
2018年4月4日。
横浜スタジアム40周年記念試合。
スワローズのユニフォームの石井琢朗。
ジャイアンツのユニフォームの金城龍彦。
ハマスタへの、ベイスターズへの熱い熱い思いをメッセージに託した。
2人の勇姿を見つめてきたファンは、涙してそのメッセージを受け止めた。
そして、この日の試合。
偉大なレジェンド2人の応援歌を背に受けて、凛々しきルーキーが打席に立った。
ビハインドで迎えた8回裏。
鮮やかなヒットをセンター前に運んだ。
今日は敗れた。
だが、また明日立ち上がる。
目指すのは20年ぶりの栄冠。
GET THE FLAG!
戦いはこれからだ。
見せてくれ
見せてやれ
超スーパープレイを
ハマの風に乗った
男の意地を
横浜DeNAベイスターズ。
背番号8。
神里和毅。
EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT.
何とかなる事ではなく何とかなる努力をする。
VICTORY is WITHIN US.
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