さらば! 男・村田修一 #25
2018/09/28(金) 東京ドーム
B0-1xG
勝 菅野
負 砂田
東京ドームでの最終戦。
砂田毅樹が長野久義にサヨナラホームランを浴び、悔しい悔しいサヨナラ負け。
ここまで65試合登板の鉄腕を誰が責められようか。
歓喜に沸くビッグエッグを見ながら、ふと思い出す。
この光景は、あの日と同じだと。
2011年10月22日。
東京ドーム。
ジャイアンツ戦。
9年所属した、愛するベイスターズでの最終戦。
彼はサードの守備に入る前に、帽子を取って一礼する。
何かの覚悟を決めたかのように。
彼の2本のホームランで2-0で迎えた9回裏。
石川雄洋のエラーから、調子を崩したストッパー山口俊は、長野久義に逆転サヨナラ満塁ホームランを浴びてしまう。
これが、「横浜ベイスターズ」の19年間のラストゲームとなってしまった。
ベイスターズは、この後球団売却を発表する。
前年にもリクシルグループへの身売り交渉が寸前まで行って、破綻していたベイスターズ。
旧スポンサーがこだわったのが、横浜スタジアム。
「横浜に野球を残す。静岡や新潟とか無理なことを言ってきたから。そこだけは譲れなかった」
まさに死に体の1年間。
譲渡先は、新興IT企業のDeNA。
3年後にCS。
5年後に優勝を目指すと、目標を掲げる。
彼は、新首脳陣に問いただす。
「俺は、来年優勝したいんです。代打の切り札になってからでは遅い」
新球団も必死の残留交渉。
だが、彼はFA移籍を決断する。
大好きだった横浜に、あえての美学で、「ジャイアンツは憧れでした」と言って、退路を絶った。
ベイスターズファンは、絶望と無力感に苛まれた。
ジャイアンツでは、リーグ優勝、日本一を経験。
その中でもたげるのが、古巣への思い。
だが、生まれ変わった新球団に彼の居場所はなかった。
2017年オフ。ジャイアンツから自由契約。
2018年は独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスに移籍。
NPBへの復帰が叶わぬまま、現役引退を発表した。
栃木の引退セレモニーでは、3人の息子さんたちが、ベイスターズ、ジャイアンツ、ゴールデンブレーブスの25番のユニフォームで父に花束を贈る。
この日の東京ドームでは、同じく3チームのユニフォームを身に着けた3兄弟を、石川雄洋と筒香嘉智が、温かく抱擁する。
青いスーツに、オレンジのネクタイ。
両軍の応援歌が流れる中、グラウンドを一周。
両軍ナインに胴上げされて、男村田はバットを置いた。
あんなに愛した。
あんなに憎んだ。
だから、最後は涙、涙。
泣いて泣いて、最後は笑顔。
16年間、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
横浜ベイスターズ。
背番号25。
読売ジャイアンツ。
背番号25。
栃木ゴールデンブレーブス。
背番号25。
村田修一。
去って去らず。
長年の疲れを癒して、しばし休んで、その功績を愛する野球界のために。
第二の人生も幸多かれ!
VICTORY is WITHIN US.
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