大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

最後のクジラが帰ってくる!

2018/10/23(火)


大洋ホエールズ最後の強打者にして、横浜ベイスターズの監督代行、湘南シーレックス(かつてのベイスターズの二軍)監督などを歴任した背番号26。


1956年7月9日生まれ。
神奈川県小田原市出身の64歳。


藤沢商業高校から、1972年ドラフト3位で大洋ホエールズに入団。



朴訥で激しい自己主張をしない彼だったが、元大リーガーの名三塁手クリート・ボイヤーの懇切丁寧なアドバイスにより、その才能を開花させる。


ボイヤーの帰国後は、その後継者としてサードのレギュラーを勝ち取る。



滞空時間の長い美しい放物線を描くホームランを、幾度となく川崎の、そして横浜の夜空に打ち込んだ。


引退後は指導者として、今や球界を代表する強打者を何人も育て上げた。


多村仁志。
金城龍彦。
内川聖一。
村田修一。
吉村裕基。
下園辰哉。
梶谷隆幸。


そして、筒香嘉智。


皆が、異口同音に語る。


「田代さんには、本当にお世話になった」


いつも一生懸命なのに、どこか抜けたところが憎めない性格から、ついたあだ名は「オバQ」。


2009年シーズン途中には、低迷するチームの監督代行に就任。


最下位に喘ぎながらも、選手を信じ、育て、指揮をとっていった。


「来シーズンも、オバQでお願いします!」


オールスターブレイクの際に開かれた決起集会では、当時のチームリーダー 村田修一が、ユーモアを交えて球団幹部に直訴。


誰からも愛されていた。


翌2010年は、再び二軍監督に就任。


横浜高校から入団した筒香嘉智を、鈴木尚典と共に育て上げた。


「俺には背広は似合わない。現場にこだわりたい」


球団からのフロント就任要請を断り、彼は静かに球団を去っていった。


その後、様々な球団を渡り歩いてきた。


そして今日、球団は彼のコーチ就任を正式に発表した。


旅に出ていた「最後のクジラ」が、横浜に帰ってくる。



横浜の空高く
ホームランかっ飛ばせ 田代


田代が打つぞ
一発ホームラン
気合を込めて
スタンドへ


横浜DeNAベイスターズ。
田代富雄。



反転攻勢の戦いが、始まった。


VICTORY is within US.