大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

令和の背番号24 #24

2019/07/05(金) 東京ドーム
ベイスターズ 4-8 ジャイアンツ


勝 山口俊 9勝2敗
負 今永昇太 8勝4敗


ベイスターズ今永昇太。
ジャイアンツ山口俊。


勝利数、防御率でセ・リーグトップを争う両投手渾身の投げ合いで試合は進む。


2-0で迎えた5回裏。


左腕は、ジャイアンツの2年目若林晃弘に痛恨の同点ホームランを浴びる。


彼の父、若林憲一は1972年から81年までホエールズで活躍した外野手。
その俊足で、川崎と横浜を駆け抜けていた。


その後、同点の6回裏に左腕は4失点。


今季最多の6失点となり、3連戦の初戦を取ることはできなかった。


だが、希望の光が一つ灯った。


8回裏、背番号24がプロ初登板のマウンドに向かったのだ。


1994年1月7日生まれ。
千葉県佐倉市出身の25歳。


成田高校、立教大学、JX-ENEOSを経て、2017年ドラフト4位で入団。


「ベイスターズでプレイしたいと思っていた」


社会人時代に練習試合でベイスターズ戦に登板していた彼にとって、相思相愛の指名となった。


即戦力として期待されたが、キャンプ中に右肘に炎症で戦線離脱。


7月にクリーニング手術を受けて、オフは筋力強化に務めてきた。


「投げられない悔しさはありましたが、何よりもヒジの不安がなくなってプラスになった部分も多い」


ファームでその実力を発揮し、この日の一軍デビューとなった。


150kmを超えるストレートとキレのいいフォークボールで、圧巻の3者凡退。


JX-ENEOSの同僚にして、この日殊勲の一打を放った若林晃弘からも三振を奪った。


豪快なピッチングに、レフトスタンドからの歓声と、東京ドーム全体からどよめきが起こる。


その豪腕に応えるように、ホセ・ロペスがこの日2本目の2ランホームランで反撃。


試合には敗れたが、次の反撃への布石は確かに打つことが出来た。


「自分の真っすぐなら通用すると思っていた。自信になった」


ビハインドの場面とはいえ、まずはプロとしての第一歩を刻んだ。


「ファームでやってきたことを前面に出すつもりだった。きょうはノープレッシャーで投げさせてもらったが、次はピンチの場面で投げて信頼を勝ち得たい」


背番号24といえば、遠藤一彦。


「神様・仏様・大遠藤様」とホエールズファンから愛された、昭和の大エース。


「彼をアメリカに連れて帰りたい。メジャーで十分通用するよ」と語ったのは、当時のジャイアンツの中心選手だったウォーレン・クロマティ。


1978年、横浜大洋ホエールズと横浜スタジアムの誕生とともにデビュー。


460試合134勝128敗58セーブ。


先発として、ストッパーとして、15年間。
横浜大洋ホエールズ一筋で投げ抜いた。


1992年10月7日。
横浜スタジアムのジャイアンツ戦が引退試合。


それは横浜大洋ホエールズの最終試合でもあった。


「こんな凄いセレモニーをしてもらえる投手になりたい」


この試合でプロ初登板を飾った「ハマの番長」三浦大輔は、この日そう誓い、24年後にそれを現実のものとした。


昭和の大エースの系譜を授かった男。


平成の大エースの指導を受ける右腕。


令和の背番号24の歴史が、この日始まった。


横浜に新たな星がまた一つ。


たたかうぞ
闘志みなぎらせて
勝利の海
行くぞベイスターズ


横浜DeNAベイスターズ。
背番号24。
齋藤俊介。


WHERE THERE'S A WILL, THERE'S A WAY.
意志あるところに道は開ける。


Go Beyond the Limit.