大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

もう一つの「熱烈LIVE」--永遠番長トークライブ再録①

2020年6月3日(水)
TVK(テレビ神奈川)の「プレイバック熱烈LIVE」を見た。


2016/9/29(木) 横浜DeNAベイスターズ vs 東京ヤクルトスワローズ
永遠番長!三浦大輔引退試合。


こみ上げる大感動。
そしてその翌年、番長のトークショーに行ったことを思い出す。


今こそ振り返ってみたいもう一つの「プレイバック熱烈LIVE」


当時の投稿を再編集して、3回に分けて投稿します!



2017/07/19(水)
「三浦大輔さんトークライブ」①
会場:横浜市西公会堂
主催:日刊スポーツ新聞社


MC南隼人氏が登場で大歓声。


かつてのハマスタスタジアムDJの名調子
「トニ・ブゥーーーーーーーーーーーーランコゥ」
を披露し、やんやの喝采。


そして、「止まらないHa~Ha」(矢沢永吉)をBGMに、三浦大輔登場!


会場後方より入場し、通路側の観客とハイタッチを交わしながら入場。
オーラが凄い!


(トークここから)
三浦「今日試合ですよ。皆さん、いいんですか」
南 「最近は、ハマスタチケット取れないから、それで皆さん来て下さったのでは」


南 「ところで、本当に引退したんですよね」
三浦「したよ!」


南 「いろんなイベントをさせて頂いてますけど、今日が一番多いですね」
三浦「昨日もハマスタ記者席で見てた。仕事のつもりが間違いで。15:00に着いたらゲリラ豪雨!」


南 「今日も、帰り皆さん雨大丈夫ですかね?」
三浦「最近は、ゆっくりさせてもらってます。しょーもないブログを皆さん読んでくれてます。ゆっくりしてます。あと野球評論は難しい。自分も一生懸命投げてきたけど打たれたな、なんて思いながら評論してます」


三浦「アメリカに8泊10日で行ってきました。メジャ-3試合、3A、シングルA、ルーキーリーグ。キャンプ地に球団事務所。始球式もやった」


南 「アメリカの球場にもリーゼントで行ったんですか?」
三浦「行ったよ。サインも日本語で書いたし。でね、3Aの球場でベイスターズのTシャツ着てたファンの人がいて。息子さんが日本人と結婚して藤沢に住んでるそうで。日本に行った時に、ベイスターズの試合をスコアブック付けながら見てて。それを見せてもらった」


南 「すごいですね。どうやって声かけたんですか?」
三浦「スタッフが見つけてくれてね。ずいぶん前のベイスターズvsタイガース。1番下園。先発が大家だった」


三浦「アメリカの日程はハードだったよ。ダイヤモンドバックス。アリゾナ。カブスのキャンプ地。ベイスターズにいたランドルフに案内してもらって、ダイヤモンドバックスのブッチャー投手コーチに会わせてもらった」


南 「ランドルフを語ってる時間はないので、知りたい方はウィキペディアで後ほど」
三浦「でもね、俺だけ全く時差ぼけがなかった」


南 「では、ここから日刊スポーツの評論家でもある三浦さんと、紙面でその野球人生を振り返りましょう」
三浦「え?今日の1面」(場内大爆笑。ちなみにこの日の1面は『山口俊暴行』)


三浦「言いたいこと、いっぱいあんねんけどね。みんな喜び過ぎもダメよ。あー、腹立ってきたけど」
南 「その話はそれくらいにして、三浦さんの野球人生を紙面で振り返ってみましょう」


南 「では、まずはドラフト指名の翌日、1991年11月23日付です」
三浦「1面は若田部(元ダイエー→横浜)さんかぁ」


南 「で、中面の指名選手一覧に初々しい坊主姿の写真が載ってます。拡大してみましょう」
三浦「ほーー」
(と、拡大された写真を見て突然)


三浦「あーーー、あかんあかん。ダメやこれ。実家の住所が載ってる。しかも番地まで載ってるやん」
南 「昔は、選手名鑑にもばっちり載ってましたもんね。時代ですねぇ」


南 「続いて、プロ初勝利。1993年9月5日付。『大沢(親分)怒った』が目立ってます。その下に『19歳の新星登場』と出てます」
三浦「よう覚えとるよ。あとちょっとで完封というところで、代打金本さんにカーブをホームラン打たれた。金本さんの引退試合も登板してるし」


南 「で、こんなコメント出してます。『緊張はしなかったですね。緊張するのは女の子と話する時だけ』」
三浦「プロ初勝利で、しょーもなーこと言っとるなぁ」


南 「続いて1997年。ニッカン1面。三浦完投。背番号46ですね」
三浦「優勝した年に背番号18にしてもらったからね。この年、あとちょっとまでヤクルト追い詰めて、石井一久にノーヒットノーラン喰らったんよ」


南 「1998年10月。横浜優勝。甲子園球場です」
三浦「この年は、神奈川の年やったんよ。高校野球、駅伝、サッカー、ラグビー、みんな優勝したからね」


南 「そして、日本一の時の1面です」
三浦「あ、日本シリーズね。僕も見てました(笑)。胴上げには参加したよ(笑)」
(番長は1998年の日本シリーズ第3戦に登板。敗戦投手になっている)


南 「2002年。横浜1勝。シーズン初勝利の時ですね。この年の1面はこれだけです」
三浦「まぁ、成績が成績やから、しょうがないわな」
(この年からベイスターズは、3年連続最下位)


南 「2005年。完封で10勝」
三浦「記事ちっちゃ」
南 「皆さん、中面も読んで下さいね」


南 「2008年。FA残留会見。『まるで謝罪会見』との見出しです」
三浦「あぁ、今日じゃなかったらなぁ。いろいろ言えんねんけど」
南 「でもね、これで永遠番長になったわけですからね!」(大拍手)


南 「で、引退した後はタイガースファンに戻ったと」
三浦「いやいや、今はプロ野球全体のファンです」


南 「2016年8月。24年連続安打ギネス認定です」
三浦「これも、『ネットで筒香』の記事に完全に負けとるな」
南 「皆さん、ネットで試合を見てくれていますからね」


南 「2016年9月21日。『番長さらば』。そして『永遠番長』の全面広告ですね」
三浦「これね。今だから言えるけど、ハマスタのマウンドで撮ったんですよ。引退決めて発表するまでのわずかの間で。夜中にまわりを囲んで、フタもしてね。18のユニ着てね。上から傘差して。何球かホントに投げてね。超極秘で撮った。本当に引退決めてからですよ」


南 「ランドマークタワーの記者会見も土砂降りでしたね」
三浦「晴れたらきれいなんだろうなぁ、と思って窓から外見てたよ」
南 「この中で、引退試合行った人?」
(たくさんの手が上がる)


南 「引退試合のチケット取るのに、皆さんどれだけ並んだか! ホントに雨男。登板日と天気並べてみたいな」


南 「2016年9月30日付。『番長ボコボコ119球』」
三浦「この黄色の『ボコボコ』だけ目立つな-」


南 「この日は1~3面すべて番長です」
三浦「本当に幸せでした。最高の形で送り出してもらった。次の日の新聞全部、家族が買いに行ってくれてね。スタジアム出たのは夜中の2:00過ぎで。スタッフのみんなが見送ってくれた。で、こんなんでいいのかな?」
南 「大丈夫です。いろんなところでトークショーやらせてもらってますけど、いつもうけてますよ!」


(紙面を振り返るコーナーはここまで。次は、写真で振り返る番長の歴史)


(続く)