大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

やられたら、やり返せ!

2018/06/28(木) 横浜スタジアム

B2-3T

勝 能見

負 山﨑

S ドリス



同点の9回表。

まさかまさかのエラーで決勝点を献上。


GET THE FLAG!シリーズは3連敗となってしまった。


悔しい。

実に悔しい。


屈辱のあと一人コール。

轟き渡る六甲おろし。


この悔しさは絶対に忘れてはいけない。



この日の先発は背番号21の左腕。


1998年の背番号21といえば、野村弘樹。


1987年、PL学園のエースとして甲子園春夏連覇。

あのKKコンビですらなし得なかった偉業を引っさげて、同年ドラフト3位で入団。


ルーキーイヤーの初登板初勝利初完封はなんと無四球。

1993年最多勝。

1998年日本シリーズ第1戦先発勝利。


現役通算15年で101勝。


輝かしい歴史を作ったベイスターズ史上最高の左腕だ。


現在は解説者として活躍する彼の最も期待する1人が、この日の先発左腕。


「投げる哲学者」とのニックネームも、クレバーな野村の後継者に相応しい。



昨年の日本シリーズ。

そして、アジアチャンピオンズシップ。


日本中の野球ファンを唸らせる快投で、その名を轟かせた。


今シーズンは開幕投手の呼び声も高かったが、左肩の違和感で出遅れ。


4月末に一軍に合流しても、思うようなピッチングが出来ない。


2度のファーム調整を経て、この日ハマスタに帰ってきた。



7回115球2失点6奪三振。


「三振を取れる投手ではなく、勝てる投手がいい投手。力のない人間は練習するしかない」(2016年4月29日)


「『援護点がない』というのは防御率0点台の投手が言うこと。僕の力不足です」(2016年4月14日)


いずれもタイガース戦で好投虚しく敗戦投手になった後のコメント。


彼が、この日のピッチングで満足している訳が無い。



この日の悔しさを忘れずに、必ずやり返してくれるはずだ。



1998年の優勝時。権藤博監督は、常々語っていた。


「戦いは、やるかやられるかだ」


「やられたら、やり返せ!」


氏は退任後も常々語っていた。


「このチームにはね、力があるんですよ。底力がある。こんなもんじゃないですよ」



戦いは続いていく。

諦めたら、そこで全てが終わりだ。


そうだ。

まだ誰も諦めていない。



左腕がうなれば

狙いは外さない

ピンポイントの技

攻めろ 攻めろ 昇太


横浜DeNAベイスターズ。

背番号21。

今永昇太。


THE FLOWER BLOOMS

IN ADVERSITY IS THE RAREST.

ピンチの時こそ成長のチャンス。


VICTORY is WITHIN US.