大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

愛する横浜に三度目の入団。掴めよ 日本一の旗を! #74

2018/10/26(金)



横浜スタジアムのロッカールームで荷物を片付けながら、彼は人目はばからず号泣していた。


愛するベイスターズで優勝したかった。
野球人生を全うしたかった。


あの日の涙から5年の歳月がたった。


今日、彼は一軍バッテリーコーチとして、5年ぶりに復帰することが球団から発表された。



1977年5月30日生まれ。
兵庫県高砂市出身の41歳。


神港学園高校から、1995年ドラフト5位で入団。


2004年に一軍に定着すると、相川亮二に次ぐ二番手捕手として活躍。


別れは突然やってきた。


2008年6月10日。
シーズン中に真田裕貴とのトレードでジャイアンツに移籍。


最下位に喘ぐチームは、タフネス右腕の獲得の代償として、彼を放出してしまう。


ジャイアンツ移籍後は、阿部慎之助の控えながらも、日本シリーズにも出場。


大きな舞台を経験し、着実に力をつけていく。


そして勝ち取ったフリーエージェントの権利。


2011年12月11日。
新生横浜DeNAベイスターズへの復帰を果たす。


トレードで放出された球団に、FA権を行使して、凱旋してきてくれたのだ。


相も変わらず下位に喘ぐチームにあって、正捕手として活躍。


時には激しく。
時には包み込むように。


栄光を知らない投手達を引っ張って行った。



そして、別れは再びやってくる。


2014年1月6日。
FAでタイガースから移籍した久保康友の人的補償選手となることが発表される。


男泣きに泣いて、愛する横浜を後にして、故郷の兵庫へ。


タイガースの入団会見では、満面の笑顔で抱負を語った。


もう涙はない。
あるのは古巣への闘志のみ。


彼の移籍後、ベイスターズはタイガースに勝てなくなった。


2014年から5年連続で負け越している。



藤浪晋太郎、呉昇桓らと抜群の相性も発揮。


2014年には、またもや日本シリーズ出場を果たした。


2016年オフに現役引退。


千葉ロッテマリーンズのファームコーチを務めた後、今日の復帰発表となった。


20年前、横浜が日本一の栄光に輝いた時、彼はまだ横須賀の選手だった。


愛する横浜に、3度目の入団。


捲土重来を期するベイスターズには、バッテリーの強化が最大の課題。


その豊富な経験と、熱き魂。
勝利への執念が、チームを栄光に導く。



我らは日々信じる
お前のバットが
勝利に沸く歓声
こだまさせる


横浜DeNAベイスターズ。
一軍バッテリーコーチ。
背番号74。
鶴岡一成。


日本一を横浜で成し遂げよう!


VICTORY is within US.