大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

新たな歴史にその名を刻め #3

2020年9月30日(水)

横浜スタジアム

ベイスターズ 3-5 スワローズ

勝 石川雅規 1勝5敗

S 石山泰稚 3勝2敗14S

負 上茶谷大河 2勝2敗


5点リードされた6回裏。

2死2塁のチャンスで、彼は打席に向かった。


内角の変化球をとらえた打球はレフトの頭上を越えるタイムリーツーベース。


大拍手に包まれるスタジアム。

背番号3は、小さく拳を握ってその歓声の応えた。


その瞬間、月間42安打の球団新記録が樹立された。


1990年8月のジム・パチョレック。

そして1996年5月の佐伯貴弘が記録した月間41安打の球団記録を、四半世紀ぶりに塗り替える偉業を成し遂げた。


「偉大な先輩たちを超えることができて、感無量です」


この日のハマスタには、解説のためその佐伯の姿もあった。


2006年入団のプロ14年目。

当時は、高校生と大学・社会人のドラフトが分離されていた時代。


彼には2人の同期入団選手がいた。


高校生ドラフト1位は、北篤。

石川県の小松工業高校から入団。

将来のエースと期待された。


怪我に泣き、2年目のオフに内野手に変更。

湘南シーレックス(当時のベイスターズのファームチーム)のレギュラーに成長していく。


2012年オフに土屋健二とのトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍。

2015年シーズン中にジャイアンツに移籍。


2017年オフに戦力外通告を受け、引退。

現在は、ジャイアンツの球団職員として「ジャイアンツ・アカデミー」のコーチに就任。

子供たちの指導に当たっている。


同じく4位は、高森勇気。

岐阜県の中京高校から入団。

将来の中軸候補として期待され、頭角を現していく。


2009年オフに、潮目が変わる。


筒香嘉智。


横浜高校からドラフト1位で入団したスーパールーキーを、球団はファームでじっくり育成すると発表。


「スイングスピード、打球。全てが規格外だった。勝てるわけがないと勝手に諦めてしまった」


かつて彼が先輩からレギュラーを奪ったように。

今度は筒香がその座をあっさりと奪っていった。


腐りかけた高森の前に、一人の大先輩が現れる。


佐伯貴弘。


1998年日本一メンバーにして、四番打者も経験。

この頃は若返りを図るチーム方針から、ファームで過ごす時間が増えていた。


毎朝6:00に球場に現れ、練習開始。

後輩の道具もすすんで片付けていた。


その姿に、高森は今一度決意し直す。


その佐伯は、2010年シーズンオフに戦力外通告を受けチームを去る。


「2010年は、佐伯貴弘にとって最高の年になりました」


大先輩は笑顔で横須賀を去っていった。


2012年、登録名を「勇旗」に変えて心機一転シーズンに臨んだ。


「明日、事務所に来てくれ。スーツでだ」


少年時代から白球を追いかけ続けた男への勧告は、10分程度で終わる。


スーツでグラウンドに挨拶に訪れる意味を知らぬものはいない。


背番号63を付けていた同期の彼と、泣きながら、泥だらけになりながら、抱擁を交わす。


チームメイトもそれを涙で見守った。


「僕が一番先に戦力外になると思ってました。こんなに長くプロで活躍できるとは思っていなかった」


仲間の果たせなかった夢が、背番号3には託されていく。


「チームのためにいいプレイがしたいと、いつも思っています」


君の背中には多くの夢が託されている。


横浜の現在がある。


ベイスターズの未来を創る使命がある。


背番号3は、今日もスタジアムを駆け抜ける。


新たな歴史に

その名を刻め

梶谷隆幸

蒼い韋駄天


横浜DeNAベイスターズ。

背番号3。

梶谷隆幸。


I CAN DO IT.

不安があっても「俺はできる」と言い聞かせてプレイに臨む。


心をひとつに。

BECAUSE WE ARE FAMILY.


【参考】

俺たちの「戦力外通告」

高森勇旗 著

https://www.amazon.co.jp/dp/4863101945/ref=cm_sw_r_cp_apa_fab_xtuDFb1KW9W5N