奇跡のリリーバー #17
2022年8月31日(水)
横浜スタジアム
ベイスターズ 3-2 ドラゴンズ
勝 濵口遥大 7勝4敗
S 山﨑康晃 0勝2敗31S
負 勝野昌慶 0勝3敗
今季の31セーブ。
そして通算200セーブを達成後初の本拠地のヒーローインタビューに、ハマの小さな大魔神は立った。
「僕たちブルペン陣は、いつでも登板できるように皆で準備しています」
最少得点差をブルペン陣の絆で守り抜いた山﨑康晃は、もう一人のクローザーについて熱き星たちに呼びかけた。
「三嶋さんが一生懸命闘っている中で、一日も早く復帰できるように僕たちも頑張っていきます。
三嶋さんにもエールを送っていただければ助かります」
2020年と2021年シーズン。
山﨑はデビュー以来初の絶不調に陥った。
この2年間クローザーのを務めたのが、三嶋だった。
1990年5月7日生まれ。
福岡県福岡市出身の32歳。
福岡工業高等学校から法政大学を経て、2012年ドラフト2位で入団。
横浜伝統の背番号17が与えられた。
1960年日本一の大エース、秋山登。
100勝100セーブ、ヒゲの斉藤明雄。
そして、奇跡のリリーバー、盛田幸妃。
大魔神・佐々木主浩とともにダブルストッパーとして活躍。
1997年オフに、中根仁とのトレードで近鉄バファローズに移籍。
パリーグの猛者たちに好投を続けていた彼に病魔が襲う。
脳腫瘍だった。
かつてのチームメイトの快進撃を、病床で見守るしかなかった。
辛いリハビリと奇跡的な回復力で、翌1999年シーズン最終戦で一軍復帰。
2001年オールスターゲームでは、中継ぎ部門でファン投票1位。
横浜スタジアムに凱旋したのだ。
「奇跡のリリーバー」となったのだ。
2002年に引退後は、ベイスターズの球団職員として、解説者として活躍。
その背番号17を、今は彼が引き継いでいる。
胸椎黄色靱帯骨化症(きょうついおうしょくじんたいこっかしょう)は、背骨付近の靱帯が硬くなって神経を圧迫する難病。
8月24日に手術は無事に終了した。
「悩みに悩んだ結果、手術することを決断しました。
自分を信じて、前を向いて、前よりももっと強くなって帰ってきます」
今度は、彼が奇跡を起こすのだ。
いつの日か、必ず彼は帰ってくる。
そして、ベイスターズナインと熱き星たちは、もう一つの奇跡を起こすため闘い続ける。
たたかうぞ
闘志みなぎらせて
勝利の海
行くぞベイスターズ
横浜DeNAベイスターズ。
背番号17。
三嶋一輝。
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どんな時も堂々と、自分らしく。
横浜反撃。
I☆YOKOHAMA!
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