恵太の時代がやって来る! #44
2019/03/31(日)横浜スタジアム
ベイスターズ3x-2ドラゴンズ
勝 山﨑
負 小熊
1960年の大洋ホエールズの日本一メンバー。
1994年の横浜ベイスターズの初代監督。
故・近藤昭仁さんの追悼試合。
第1戦はOB総結集。
第2戦は日本一の「権藤さん」。
そして、第3戦はミスター・ホエールズ&ベイスターズの追悼のために、選手は戦った。
特別な思いを胸に、本拠地開幕3連戦最終戦を鮮やかなサヨナラ勝ち。
歓喜の瞬間を眺めながら、ある光景を思い出した。
2011年4月12日。横浜スタジアム。
セントラルリーグ開幕戦。
ベイスターズvsドラゴンズ。
4-4の9回裏。
マウンドには、浅尾拓也。
打席には、内藤雄太。
佐伯貴弘に憧れた少年は、横浜商工高校から八戸大学を経て、ベイスターズに入団。
日本一のセットアッパーから、振り抜いた打球は見事なサヨナラヒット。
「本当に、言葉が出ないぐらいうれしいです。今までなかなか結果が出なかったけど、一生懸命やってきて良かった」
東日本大震災で日本中が物情騒然としたあの時。
平日ながら異例のデーゲームでの開幕戦は、男・内藤の涙で幕を閉じた。
激動の平成が終わろうとする2019年3月。
あの日と同じドラゴンズ戦。
あの日と同じ開幕3連戦。
試合を決めたのは、やはり左の強打者だった。
1994年11月28日生まれ。
岡山県岡山市出身の24歳。
広陵高校から明治大学を経て、2016年ドラフト9位で入団。
シーズン3年目。
勝負の時が来ている。
ドラゴンズ先発の柳裕也とは、明治大学の同級生。
直接の対戦はなかったが、好投するライバルに期するものがあったはず。
そして回ってきた、サヨナラの場面で代打のビッグチャンス。
鋭くバットを降りぬき、勝利の女神を手繰り寄せた。
溢れかえる歓喜の渦。
轟き渡る大歓声。
7年前の涙のサヨナラとも違う、凛々しきヒーローインタビュー。
「自分で決めてやると思って打席に立ちました」
新時代の幕開けが目前。
その手で時代を掴み取れ!
君ならそれができる。
出た出たついに
必殺バットマン
白い弾丸打ち込んで
ガッツポーズだ
横浜DeNAベイスターズ。
背番号44。
佐野恵太。
CONCENTRATE ON EVERYTHING AND EXERT MYSELF TO THE UTMOST.
精神を集中させ努力すれば出来ない事はない。
どんな壁にぶつかっても努力をして乗り越えたい。
Go Beyond the Limit.
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