大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

ハマの夜空に輝く背番号24 #24

2019/07/18(木) 横浜スタジアム
ベイスターズ 3-7 ドラゴンズ


勝 エニー・ロメロ 6勝6敗
負 今永昇太 8勝5敗


守備の乱れもあり5失点してしまったエース今永昇太は、今季最短の5回で降板。


4点ビハインドの6回表、背番号24がマウンドに向かう。


デビュー5戦目にして、初の本拠地のマウンド。


打者3人相手にわずか11球。


最後の打者平田良介から空振り三振を奪い、チームメイトの待つベンチへ駆け抜けていく、堂々の本拠地デビューとなった。


ハマの背番号24といえば、遠藤一彦。


「神様・仏様・大遠藤様」


460試合登板。
134勝128敗58セーブ。


横浜大洋ホエールズの大黒柱だった。


1992年の引退後、様々な選手が背番号24を背負ってきた。


細見和史。


1995年、同志社大学からドラフト1位で入団。


4年間は怪我に泣き思うような力は発揮できず。


2000年には、ベイスターズの二軍を独立採算制とした「湘南シーレックス」初年度の開幕投手に指名される。


同年7月20日。
横浜スタジアム。


オールスター直前に、この苦労人を権藤博監督が先発に抜擢。


初勝利を記録した彼は、ヒーローインタビューで男泣きに泣いた。


この年に5勝を記録するも、2002年オフに中嶋聡・富岡久貴とのトレードで石井義人とともにライオンズへ移籍していった。


門倉健。


1995年、東北福祉大学からドラフト2位でドラゴンズに入団。


2003年オフ、福盛和男・矢野英司との交換トレードで宇高伸次と共に、大阪近鉄バファローズからベイスターズへやってきた。


牛島和彦監督のもと、2年連続二桁勝利を記録。


2005年は最多奪三振のタイトルを三浦大輔と分け合った。


2006年オフ、牛島監督の退任や、球団首脳部との行き違いもあり、フリーエージェント宣言。ジャイアンツに移籍。


2016年9月29日。
横浜スタジアム。
かつての同僚三浦大輔の引退試合には、三塁側内野席で家族とともに観戦して、その勇姿を見届けていた。


現在はドラゴンズの二軍コーチとして活躍している。


寺原隼人。


2001年、日南学園高校から4球団競合の末、ダイエー・ホークスに入団。


2006年オフ、多村仁志とのトレードで移籍してきた。


「多村さんがホームランを2本打ったら、僕は先発で勝つ。それぐらいの決意でやる」


2007年にキャリアハイの12勝。


2008年には初の開幕投手。シーズン途中からストッパーに転向して22セーブを記録した。


2010年オフに高宮和也と共に、山本省吾・喜田剛との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍。


その後古巣ホークスを経て、今シーズンからはスワローズに活躍の場を移している。


そして令和時代の始まり、2019年夏。


背番号24の右腕が、横浜スタジアムに帰ってきた。


多くの先人たちが背負い、そして果たせぬ夢を託してきたこの番号。


彼なら、もう一度輝かせることが出来る。


力強い直球でグイグイ攻め込んでいくピッチィングは、熱き星たちの心を揺さぶる。


176cm83kgの身体が、実に大きくハマスタのマウンドに映える。


その活躍で、21年ぶりの栄冠の原動力に。


その豪腕が、ハマスタの夜空に輝く時が来た。


たたかうぞ
闘志みなぎらせて
勝利の海
行くぞベイスターズ


横浜DeNAベイスターズ。
背番号24。
齋藤俊介。


WHERE THERE'S A W.LL, THERE'S A WAY.
意志あるところに道は開ける。


Go Beyond the Limit.