大田区からハマの星に祈りをこめて

ベイスターズの試合について熱く書いていきます。1試合に1選手。最も心揺さぶられた事に、全力投球! そしてフルスイングで!

史上最年少150セーブの金字塔 #19

2019/07/17(水) 横浜スタジアム
ベイスターズ 3-1 カープ


勝 濱口遥大 4勝3敗
S 山﨑康晃 1勝1敗17S
負 クリス・ジョンソン 6勝6敗


3-1でリードして迎えた9回表。


横浜スタジアムの空気は期待ではち切れんばかりになる。


Zombie Nationの「Kernkraft400」が轟き渡る。


大「ヤ・ス・ア・キ」コールと、康晃ジャンプ。


大きな歓声で、横浜が一つになる瞬間。


その中を、背番号19が凛々しく登場。


リリーフカーに乗りながら、母ベリアさんの姿もしっかりと確認した。


「小さな大魔神」は、その右手を運転手の肩にそえて感謝の気持ちを伝える。


そして、マウンドに駆けていく。


投球練習が終わるまでの間、大コールとジャンプが続いていく。


今日も、戦いが始まった。


順風満帆な時などなかった。


小学校3年生の時に、両親が離婚。


姉とともに、母と暮らすことを彼は選んだ。


「家族で一緒に食事をした記憶はないですね」


母は、家族のために、朝昼晩そして深夜まで働き続けた。


その支えがあって、彼は大好きな野球を続けることが出来た。


そして、週末には父がコーチを務めるチームの一員として、グラウンドを駆け回った。


地元の憧れのヒーロー森本稀哲に憧れて帝京高校に入学。


「プロ野球選手になって、お母さんに楽をさせてあげたい」


甲子園出場を果たしベスト8にまでなったが、プロからは声が掛からなかった。


苦しい家計を思えば、野球を続けることに躊躇があった。


だが、母は何の迷いもなく野球を続けさせてくれた。


「4年後に必ずドラフト1位でプロに行く」


固い決意で、亜細亜大学に進学。


チームのエースとなり、大学日本代表にも選ばれた。


2014年10月23日。
外れ1位ながら、ベイスターズとタイガースが競合。


中畑清監督が、見事にくじを引き当てガッツポーズ。


背番号は19に決まった。


先発ローテーションとして期待されたオープン戦で、結果を出すことが出来なかった。


開幕直前のファンミーティングで、中畑は彼に問うた。


「ストッパー、やるか?」
「はい、やります!」


彼は満面の笑みで承諾。


「キヨシの大博打」にも見えたこの決断。


実は球団は、彼を「ストッパー候補」としてマークしていたのだ。


2015年3月31日。
横浜スタジアム。
カープ戦。


プロ入り初セーブを記録した彼は、ヒーローインタビューで叫ぶ。


「小さな大魔神になります!」


58試合登板。
2勝4敗37セーブ。


大車輪の活躍で、新人王を獲得。


これから5シーズンに渡り、クローザーを務めてきた。


悔し涙も流した。


セットアッパーへの配置転換も経験した。


日本シリーズに進む栄光と、目の前で胴上げを見る屈辱も味わった。


だが、倒れても倒れても、彼は起ち上がってきた。


「ファンサービスにスランプはない」


スタッフに制止されるまで、一人でも多くのファンに応えてサインをする誠実さ。


ハマの番長三浦大輔の引退後には、彼が本拠地で行ってきた小学生以下のファンへのサイン入りグローブプレゼントを引き継いだ。


それも全て自らの希望によるものだ。


迎えたこの日のゲーム。


積み上げてきたセーブは149。


打者3人。
15球。


最後は三振でゲームセット。


プロ野球史上最速での、150セーブの金字塔を打ち立てた。


「チームは大事な時期。もっと成長して、記録を積み重ねていきたい」


2位ながら借金1で、首位ジャイアンツを9.5ゲーム差で追いかける現状に、彼は決して満足していない。


そのセーブが一つ一つ積み重ねられる毎に、栄光の旗が近づいてくる。


横浜には、小さな大魔神が居る。


秋の歓喜の瞬間、ハマスタの中心に立つのは、背番号19だ。


たたかうぞ
闘志みなぎらせて
勝利の海
行くぞベイスターズ


横浜DeNAベイスターズ。
背番号19。
山﨑康晃。


TAKE PRIDE IN YOUR WORK.
自分の仕事に誇りを持つ。


Go Beyond the Limit.